社会福祉士の国家試験体験談

 

2001/2

社会福祉士の国家試験を受けてきました。



  2001年1月28日、めざすは早稲田大学文学部校舎。前日は大雪で、車道は雪はありませんでしたが、歩道は雪が小さくよけられ、やっと人が歩けるか、踏み固められてアイスバーンのようでした。とにかく、板東橋駅から横浜にでて、そこから品川で山手線に乗り換えて高田馬場、東西線で早稲田にでました。9時に校舎の入場ができるのですが、ついたのが8時35分。
  早稲田の文学部校舎は歩いて5分程度ですが、その道は駅前から長蛇の列となっていました。
  「試験」を当て込んだ業者がパンフレットを配っています。合否をすぐに知らせてくれるサービスとか、直前チェックリストとか、その下には補習とか、模擬試験の情報がずらずら並んでいます。
  それにしても寒いなあと思っていたら、同じ神奈川から受験にきた施設職員とばったりあって、喫茶店で始まるまで時間をつぶすことにしました。お互いに、やはり仕事が優先してしまって、それは当然のことなのですが、特に中堅になると受験を理由に職場をあけることは難しいこと、家族のことなどがあって、準備は十分とはいえないことなど話しました。二人とも、参考書などは持ってきていませんでした。もう、きのうまでで脳は飽和状態だったのです。
  出かける前に、喫茶店のトイレを借りて、早稲田のキャンパスに入っていきました。

 とにかく、やるだけやってみよう。

社会福祉士とは

  社会福祉士は、福祉の分野ではソーシャルワーカーに関する国家資格です。
  今までソーシャルワーカーというと、「社会福祉主事」の任用資格が一定の基準となっていました。
  といっても、おおざっぱに言えば、ソーシャルワーカーは誰でもなれて、一定の実務経験があれば、「社会福祉主事」の任用資格は得られることになっています。
  しかし、社会福祉従事者の専門性が叫ばれ、国際的にもそのような潮流となり、日本でも、社会福祉士と、介護福祉士の資格制度ができ、その後精神保健福祉士ができました。
  とはいえ、社会福祉の仕事はこのような資格がなければできないと言うものではなく、資格はなくても現実に仕事をしている人の方が大半です。
  ただし、社会福祉士介護福祉士精神保健福祉士はその資格のないものは名乗ることができませんし、たとえば、成年後見制度において、後見人などになれる資格の中に、社会福祉士が含まれるなど、これから、社会福祉士の地位 は定まってくるものと思われます。
  資格の中ではっきりしているのは、ケアマネージャーといわれる在宅介護支援員でしょう。この資格のある人しかできないのが、介護保険制度を利用して行われる様々な高齢者の介護に関するケアプランや相談です。

受けたいと思ったのは

  じゃあ何でおまえは現実にはまだ差し迫って必要とされていないように思われる資格を取るのだと言われそうですね。確かに、業界の人と話していると、「社会福祉士よりケアマネをとった方がいいのでは」と言われることも結構ありました。そのときいつも答えるのは
  実は、私は社会福祉学科を出たわけではなく、実践的には様々なことはやってきて、特にボランティア活動や青少年、障害者活動についてはそれなりに評価されてきたけど、自分の専門と思ってやってきたことも、知識や情報としては偏りがあり、体系的に勉強したことがなかったのです。
  その不安は仕事や実践を行っているときに頭の片隅によぎることでした。もしかして必要な情報や、体系が足りないために、「クライアント」の自立を私が阻害しているのではないだろうか。仕事をすればするほど、体系的な福祉情報を身につけたかった。大学に行ったり、通 信教育を受けるというのもいいなあと思っていたのですが、その矢先社会福祉士の資格と、その資格要件の中に、私がつとめていた隣保館の指導員相談員の経験年数も含まれるようになったことから、とにかく、世間に認められる水準に自分を高めてみたいと思ったのです。
  それから、私は、現在老人ホームの事務員をしていますが、自分は、社会福祉の実践的な場面が肌に合っていると思います。このことはまた必要があれば文字にしたいと思います。隣保施設での20年のソーシャルワーカー経験をもちながら、転勤の際、資格のないワーカーに対する終焉を感じ取りました。
  正直に言って、これはとっても悔しかった。そして、俄然自分の自分たるゆえんを考えることに直面しました。
 転勤する年の正月に、全国社会福祉協議会の中央社会福祉学院の社会福祉士コースに、論文による受験をしました。これには落ち、転勤してから、介護保険の準備段階で騒然としている職場の中で、もう一度論文を書いて、合格しました。

早稲田のトイレ

 3流大学の文学部卒の私は絶対入れないと思っていた早稲田のキャンパスは、もっともっとぴかぴかであると思っていましたが、物質的には同じなのですね。ドアも、壁も、黒板も、私のでた大学とほとんど変わりがなかった。
  受験番号と試験教室の張り紙を見て、自分の受験番号の席を探し当てて着席しました。
  養成校の事前講座では、教室によっては寒いところがあるから、着るもので調整しろとか、カイロを持っていけとか指導を受けましたが、窓側だった私の席の横は、スチームの蛇腹みたいな配管がむき出しのきわめて暖かい席でした。
  9時から9時20分までに着席のことと受験票に書いてありました。それから11時55分まではトイレに行けず受験します。持つかなあなんて考えているうちに尿意を催しました。さっき喫茶店でしっかり行ったはずですが、どうしても心配になってしまい、本当にせっぱ詰まった感じになってきました。このまま受験しようか、試験の説明に入る30分までは後9分だ、どうしよう後8分だ、7・6・5分。
  やっぱり行っておこうと思って、試験官にお願いしてトイレに行かせてもらいました。試験官が「わかりますか。後5分ですよ。それに、地上のトイレはすべて女子用になっていて、男子は、2階のここから地下まで行かなければなりません。必ず5分で帰ってきてください。」との声を聞きながらダッシュで階段のある場所を探して、降りていき、地下に降りる階段がなかったので、探して、用を足しました。そして、ダッシュで戻ろうとおもったのですが、大学特有の迷路状態の中で、半分迷子になりかけました。「あれ、ここは社会福祉学の演習室だ。やっぱり教授は違うんだろうな。それにしてもこんなとこは通 らなかったよなあ。あれ、2階が教室なのにいつの間にか3階だ。あ、こっちだ。教室のドアはみんな同じだな」と思っていた瞬間。すべての教室のドアが閉まっている中、1カ所だけドアがあいていました。「やった!」一つだけ空席があり、見覚えのある鞄がありました。「助かった」
  もし、後1分遅れていたら、この2年間の努力は無に帰してしまい、またもう1年受験生活を送らなければならなかったのです。きっと教室では有名人になってしまっているだろうなあとか、思いながら席に着きました。後で知ったことですが、各階とも男女のトイレがあったのですが、この日は、通 常階のトイレはすべて女性用の張り紙をしたようです。なんといっても受験生が女性がおおいからの配慮だと思います。

緊張

 で、着席したら、試験官が何事もなかったかのように試験の説明を開始しました。
  私は、その説明を聞きながら、心の動揺と、ダッシュをしてきた身体の息が上がっているのを沈めようと意識をしたのですが、なかなかうまくいきませんでした。
そのままの心と体を持って、それだけでなくても試験前は緊張してふつうではない状態ですから、試験が始まっても手のふるえは止まらず、試験問題は頭に入らず、マークシートの●がなかなか塗れず、印刷の○からはみ出しては消してを何回続けたでしょうか。

 思い返してみると、こういった試験については、1回でパスした経験がありません。高校の受験では、私立に失敗し、公立にも受からず、私立の2次志望でやっと引っかかって入学しました。大学は1次志望の推薦を社会学にしたところ、哲学ならということで、推薦入学しました。就職についても1度落ちてからもう一度。受験戦争にまともに立ち向かってその試験にパスしたという経験がないこともよりいっそうプレッシャーとなっていたのかもしれません。

試験に臨んで

  試験に臨むに当たって、もちろん学校のテキストは目を通しました。というのも、私は受験することもさることながら、福祉の体系をいささかながらでも脳裏に焼き付けたくてそうしたのです。
  先輩たちはいろいろなアドバイスをくれました。福祉六法を最初から最後から読め、厚生白書がいい、国民の社会福祉の動向だ、みづきの必携社会福祉士がいい、過去3年の過去問題を徹底的にやれ。人それぞれにあった学習法というのがあるのかもしれないなあと思いながら、あの人はこうやったこの人はこうやったと聞くと頭の片隅に不安がよぎったりしました。
  で、私は、本を読むのが好きだったので、散文的に頭に入れていくのがよかろうと思い、中央法規の社会福祉士精神保健福祉士受験ワークブック2001を買ってきて、頭から、アンダーラインを入れていきました。普段は本を汚すのは好みませんが、自分はここを読んだ、これを1回は目を通 したという意味で、アンダーラインを入れていきました。
  養成校に入学した最初の1年は、テキストを読むことにしました。最初のうちは丁寧に読んでいったのですが、後半は拾い読みで、実は、レポートのための速読と、その関連の情報をインターネットで拾ってくるという繰り返しになりました。
  2年目のスクーリングが8月に終わると、ワークブックを買ってきて、読んでみようと思ったのですが、仕事が忙しいことにかこつけて、9月まで全く開けませんでした。
  9月からは、社会福祉士会が主催する受験講座があり、その講座の内容とあわせて、ワークブックを読むという目標を持ちましたが、これも、遙かに及ばず、気持ちが焦ってしまいました。
  11月の中頃に社会福祉士会が主催する模擬試験を受け、その結果が73点で、どうしても17点アップし90点以上にしなければならない、そのとき最低だった教科を中心に勉強し挽回する必要がでてきて、やっと受験体制に頭が切り替わってきました。苦手は、医学、法学そして、他がほとんど50パーセントで、合格ラインをとっていたのが、社会福祉援助技術系の教科でした。
  ワークブックについては、アンダーラインを2色に入れる予定でした。暮れまでに、1回黄色で読んで、次に赤で読むつもりでしたが、ワークブックの1回を読むのに正月を過ぎ4日までかかってしまいました。
  ここから過去問です。苦手な教科から始めました。というのも、得意な教科は、場合によっては、間に合わなくても何とかなると思ったからです。一説によると苦手な教科は相手にしない方がいいという考え方もありますが、私はせめて過去問だけでもつぶしておけば、心が安心すると考えたのです。
  過去問は、苦手科目に時間がかかり、得意科目は案外すいすいと解けました。やはり、模擬試験と同じ傾向の点の取れ方でした。ですから、苦手を相手にしない方がいいのかもしれませんでした。が、不正解となった問題をもう一度、もう一度と、2回つぶしていくうちに、何となく問題傾向がわかってきました。教科そのものの思想とか体系とかもうっすらと感じられるようになり、なんだか得したような気分になりました。それから、なんだかこれは間違っているぞと言うのが直感されるようになりました。試験問題は5択なのですが、そのうちの2つは違うのがわかり、後3つの中から選べば正解という状況で、必ず間違えている自分に気がつきました。そのときはこの傾向で解答すればいいのかなあと言うあたりがついてきたというか。

試験前4日間の勝負

  そして、1月24日から代休をかき集めて、連続して4日間受験のための時間をとることができました。
  24日と25日は過去問の残っている不正解をつぶしていきました。途中で、過去問をやったって、この問題は出ないのだし、やってもしょうがないじゃないか。いやいや問題傾向に対して、答えられる自分を作るんだ。過去問の問題集の解説にばっちり、アンダーラインを引いていくんだ。1日8時間ほどやったでしょうか。目が疲れ、頭が飽和状態になり、あっていると思うことにも自信がなくなりました。
  26日には、とっておいた前年の国家試験の問題を取り出し、本試験の時間にあわせてやってみました。結果 、94点。何とか合格ラインにのってきました。前年の試験だったら受かっていたなあと言う自信と、不安が沸き立ってきました。
  27日は、先輩の教えに従って、頭を休める日にしたかったのですが、午前中はやっぱり過去問のだめだった問題をチェックしようとしました。が、頭に入っていかない。午後からは頭を休めることにして、持ち物チェックをすることにしました。社会福祉士会で配布していた直前マニュアルと当日チェック表が大変役に立ちました。マークシート用の鉛筆はあまり先をとがらせないで、3本用意し、プラスティックの消しゴム、そして、受験の先輩からもらった目覚ましドリンクのチェックをし、参考書は持っていこうかどうしようか考えたのですが、持たないで行くことにしました。自分でもおかしいくらい、緊張し、神経が過敏になっているのがおもしろかったです。

 不安でした。こんな勉強では落ちるかもしれない。そんなときに、通信教育で提出したレポートは役に立ちました。久しぶりに自分のレポートを読み返してみると、こんなことを書いていたのか、なかなか中心的なことを言ってるぞ、ここを強調した方がよかったかななんて反芻しているうちに、とにかくここまでやったんだという気分になってきました。

試験を受けるのは何十年ぶり

  午前中の試験は予定通り、あまりできがよくなく、半分とれていればいいと思いましたが、実感としては、それ以下になりそうな気がしました。とにかく覚えなければならないような問題の多い社会学とか、法学のように法律や法令を見ておかなければならないような一般 教養は結構ハードでした。特に心理学においては、過去問とは全く違う傾向の問題が出されていて、これはとれていないと思いました。法学については、成年後見人制度が確実にでることがわかっていたので、それは理解できましたが、それ以外は難しかった。
  すべての問題を解くには、私の能力ではもう少し時間がかかるのがわかっていましたので、問題を読む時間を早くするために、問題の文字に鉛筆を走らせ、その早さに目を追わせるようにしたところ、案外問題が頭に入ってくるような感じがしました。とにかく、わからなくても全部どこかに●をしました。

家族

 昼休みは、女房が握ってくれたおにぎりを3つ。そして、番茶。最後に目覚ましドリンクを飲んで、キャンパスの散歩に出かけました。というよりうろうろ散歩(というより徘徊)という状態でした。何人かの知り合いにあって声をかけ合いましたが、なんかみんな一様に複雑な顔をしており、私もその中の一員であることにおかしさを感じました。
  おにぎりは、梅干しが口の中をしゃきっとさせてくれました。試験の前に、システム手帳を開いて、何年か前に行った神戸の西洋館の前でとった家族の写 真を眺めました。息子は、前日にめがねケース(もちろん乱視と老眼用の)のなかに、手紙を入れておいてくれました。娘は当日の朝、食卓の私の席に手紙をおいてくれました。それを見るとうれしくて、そして自分の生き様を感じざるを得ませんでした。
 もちろん、午前中にはあんな事件を起こしたのですから、トイレに行くタイミングが気になってしまって、昼休み中に3回も行ってしまいました。
  1時に教室が閉まって、午後の試験の説明が始まりました。そうしたら、後ろの方の女性が、試験官にトイレに行きたいと発言しました。みんな同じなんだなあと思って少し安心し、女性だから、地下まで行かなくてすむんだよな。よかったよな。私の苦労はしなくてすむんだ。なんて心の中で思っていました。

まるで自白の強要

  午後は、一般に点数のとりやすい専門科目です。私もその傾向がありました。
  でも午前中の試験に頭の大半を使い果たしたような気分がしていました。午前中は80問。そのときの気分ときたら質問責めで頭がぼーっとしてしまって、まるで、警察や検事に自白を強要されている犯人みたいに、「全部私がやりました」といって間違いもなにもかも●をしているような気分でした。
  それに暖房の効果は絶大で、少し頭がボーとしてきていました。どちらかというと、足下は冷たいのに、頭ばかりが熱い感じがしていました。
  短い設問に答える形式の問題の他に、長文問題が九問ほどあり、時間が足りないのに、長文を読まねばならず、結構焦ります。それに、午前中の点数が気になって、挽回しなければなんて考えているから、ますます緊張が高まってくる割には、頭がぼーっとたままでした。
  児童、障害、老人については、法律が成立した順番とか、どの施設が適切かなど知識を確かめられる問題に苦労しましたが、社会福祉援助技術に関しては、ケースワーク、グループワーク、地域福祉実践などなので、自分のしてきた実践を元に(それがまた実践を積んできているからこそ、迷ってしまうような問題もあるのですが、そのときは、まあ、教科書に戻って答えるというテクニックで)答えるので、何とかなるという思いがあり、最後の介護概論については、老人ホームのケアワーカーや相談員の話を漏れ聞いていると何となくわかるような問題も中にありました。

採点

 帰りの出口で、午前中の業者がチラシを配っていました。それが午前中の一般教養試験問題の「解答速報」でした。それをポケットに押し込んで、一緒に試験を受けた施設職員と一緒に高田馬場まで二十分ほど歩くことにしました。そういえば、このごろ歩いていないなあ。こんな時には空を見上げて空は青いとか、こんなに広いとは思わなかったとか言うのだろうなと思いながら歩いていきました。
家につくと家族が迎え、暖かな部屋と食事が待っていました。午前中からの出来事を話しました。もちろんにこにこ笑いながら。
 食べ終えてから、そのチラシを元に採点してみました。案外とれている。5割半ぐらいでどきどきしました。もし、午後の試験で7割とれていなければ、来年もまた受験することになる。試験が終わったことの開放感とあわせて、不安が広がったのです。不安で眠れないかと思ったのですが、実際には緊張が解けて、ぐっすり寝てしまいました。
 次の日、インターネットで業者のホームページにいってみたら、午後の部の模範解答がでてました。それをダウンロードして自己採点してみましたらだいたい、8割ぐらいとれた様子です。
 つまり、150問中90問は何とか達しているようです。自己採点では102点ほどとれているようすでした。もちろん業者の模範解答で、しかも自己採点ですから、絶対ということはありません。解答があっていても、違うところに●を着けていたり、欄が全体にちがっていたら、ぬ か喜びにしかすみません。しかも、心理学は10点中3点しかとれていないようすだったので、これが致命的になることもあり得ます。その後、社会福祉士会の模範解答では104点でした。

とにかく終わった

  それにしてもとりあえずその結果に家族も大喜びでした。(まだ早いって)    (*^。^*)
 まだ、3月31日の発表を待つまではなにも決まったことではありません。しかしこの体験を通 して教訓としては47歳でも、まだ勉強すれば頭に入ることがわかったことです。それは、十代や二十代の頃とは比べものにならないほど記憶力は衰えていますが、それは何回か多く覚えようとすること。そして、丸暗記ではなくて、自分の経験とつなぎ合わせていくことが年をかさねた「学生」の有利なところだと考えました。
 つまり、経験の鎖からその鎖をのばしていくのです。そのことによって、逆に自分が正しいと思っていた鎖のつながりを断ち切って、新しくつなぎ返さなければならないことだって起こりました。受験してよかったと思っています。そのほかにも、自分が当然知っていなければならなかったことについての知識も得られたし、考え方もだいぶわかってきました。なによりも、この問題については、ここをこのように情報収集すれば何とかなりそうだという感をつかんだと言うことです。

 もう必要ないなあと思って、参考書とか処分しようと思いましたが、待てよ、これで落ちていたら来年の受験のために必要だ、とりあえず段ボールに詰めておこう。これは、これから受験の人に分けてあげられる、これは書き込みすぎているから恥ずかしいな。とにかく合否の通知がきたら考えよう。と思い、結局本棚に残ったのは、教科書と、そのときに買った六法とか、専門書、自分のレポートでした。問題集とかワークブックは段ボールの中にあります。とにかく見たくないと言う気持ちが先に立って、「終わった終わった」とさっぱりしたい気分もありました。
 もちろん受かったわけではない今の時点ですが、それは受かっていてもいなくても、一つの出発点を迎えることができました。この機会を与えてくれたみなさんに感謝したいと思います。これを機会に私はなにをしようか、どのように生きていこうか。もう一度考え直し、次の一歩を踏み出したいと思います。
みなさんに感謝します。


2001/4

社会福祉士合格

2001年4月4日

 4月2日に、試験合格通知と、登録申請用紙が郵送されてきました。そこで、4月3日に午後から休暇をもらって、申請をしました。登録料と手続き料と郵送代を入れて20000円でちょっとおつりがきました。すべて郵便局で作業してしまいました。申請用紙に登録のための証紙を貼って、手続き料を振り込みで払ってその証明書を所定の用紙に貼って、この二つを封筒に入れて、簡易書留で送りました。

2001年4月1日

 まだ正式に合格通知はきていないのですが、社会福祉士会のホームページで、全国の合格者がのっており、私の名前もありました。このホームページにでてくる友達もみんな合格していました。

 みなさんのおかげで、無事、試験を通ることができそうです。ありがとうございました。

 また、この心境を書きたいと思っています。


2001/4

レポートと教科書だけ残りました。

 社会福祉士の登録申請用紙を送ったので、6月には遅くとも登録証がくることでしょう。

 そう思って、2年間社会福祉士受験環境だった机、本棚を整理しました。自分で書き込んだもの、今後も使用するであろう辞書や教科書、そのときに読んだ原典などは残して、受験対策用の模擬試験とか、過去の問題集とか、対策本などをまとめて、後に続く受験生にあげることにしました。紙袋にして2つになったかな。

 でも実際に使ったのは、過去問と、ワークブック2冊。それには徹底的に書き込んだりラインを引いたりしました。そのほかのものは、不安になるとついつい本屋に行って買ってしまったものです。でも、その本を開いていると、やりかけのワークブックが気になるというわけで、結局元のワークブックの続きをやりました。ですからそのワークブックは書き込みがすごいです。過去問は、各単元別に切ってバラバラにして持ち歩き、電車の中でも片手でもって問題を解いていたので、とてもではないですが、人にあげられるものではありません。本当は、1問ずつ分けて、正解できないでいる問題だけを持ち歩くということも計画したのですが、時間がなくてできませんでした。

 で、もらってくれる人に聞いたら、書き込んであるものが、もしかするとガイドになるかもしれないから、それもほしいといわれました。僕としては、逆に思い出の品になるわけで、徹底的に書き込んだものは、自分の元においておこうとも考えたのですが、預けることにしました。

 机、本棚は幾分すっきりしました。本棚は、ずいぶんすいた感じがします。社会福祉系の本と、コンピュータ系の本がやっぱり多い。これからどんな本が加わることでしょう。